作為的感動体験

何年か前に建築家の安藤忠雄の講演を聞いた。話の上手な方なので立ち見席でも足の痛みを忘れるほど面白く聞いたが、今でも心に残っているのは「とにかく積極的に自分の目で確かめてください」という、言葉は正確には覚えていないが、そういった意味のフレーズだ。その時は東京の副都心線の渋谷駅構内のデザインの話だったと思うが、とにかく見に行けと。
先日美容院で読んでいた雑誌に、舟越桂の記事が載っていた。彼の作品には昔から魅かれ、彼がまだ無名時代に、あるいは既に有名だったのかもしれないが私が無知だったかつて、名古屋の少し変わった本屋にトルソが置いてあり、それを間近に見たのが初めての出会いだった。見るからに木彫りで、硬質な感じが前面に出ているにもかかわらず、なぜか私の心の一番ソフトな部分と静かに融合していき、しばらくその作品の前でじっと立って、透き通る目を見つめていたことを覚えている。本屋の主人が言うには知り合いに頼まれて預かっているとのことだったが、今なら何千万円もの値がつくであろう作品が裸で無造作に本棚の上にちょこんと乗っていた。
そんなことを思い出したら、彼の作品の写真集が無性に欲しくなり早速amazonで購入したのだが、やはり実物で得た感動とは比べ物にならない。実物を自分の目で見なきゃ駄目なんだと痛感した。
もっと頻繁に美術館へ行かなければ。副都心線も見に行こう。誰も何も説明してくれなくても、本物は私の中の何かとコネクトする。
アートでも、建築でも音楽でも食べ物でも、感動するものと出会えるかそうでないかは結局自分の選択なんだと思う。