ニューヨークのつかまり棒

ニューヨークの地下鉄には吊革がない。少なくとも私が暮らしていた90年代にはなかった。その代わりになんとも無愛想な棒が車両の数箇所に通路の中心に立っている。車両によっては並んだ座席の上のほうにバーが渡されているものもある。立っている人はまるで運動会の棒倒しのように、棒をぐるりと取り巻いてあいているところを見つけてつかまるのだ。人種のタペストリーと呼ばれる(坩堝とはもうよばれない。人種が溶け合ってひとつになっているわけではなく、それぞれ文化・特徴を保ちながら共生しているという観点から完全には混ざり合わないタペストリーに喩えられる)街だから、棒につかまる手の色は上から下まで様々。
私の友人は地下鉄に乗るときは必ず手袋をしていた。私も、自分も含めて得体の知れない何百、何千という人が触れた棒の衛生面について疑問を感じたことはないこともない。何かで読んだか聞いたかした情報のひとつに、地下鉄のつかまり棒には抗菌コートがしてあるから大丈夫、という、実は何の根拠もない怪しげな情報を得て、自分を納得させていたようなところもある。でも実際は毎日毎日乗ってる地下鉄の衛生面など、毎日毎日歩いている道のアスファルトを破って見えている雑草くらいに、既に目にも入らない、どうでもよいことになってしまっていたということなんだと思う。
Anyways...
かまり棒には、しかし、身の毛もよだつ(「よだつ」ってことば、「身の毛」とセットでしかみたことないな)思い出がある。
その日はそれほど混んではいなかったけれど(因みに、混む、といってもニューヨークの地下鉄は東京の通勤ラッシュのような基地外じみた混み方にはならない。他人との不要な肌の接触を嫌う文化にもその要因があるのかもと思う)座る席がなかったので私は棒につかまっていた。もう一人同じ棒の上のほうをつかんでいたのはヒスパニック系と見られる細身の男性。まあ若めだったと思う。背は私より少し高いくらい、だから男性としては低めのほう。私はそのとき何をしていたかしらん。文庫本でも読んでいたのかもしれない。ふと気づくと棒を握っていた手のひらが濡れている。えっ、なんで?と思ってよくよくみると棒の上のほうから液体がゴムの木から染み出るゴム樹液のようにたらりたらりと流れ落ちていて、その液体がなんだったかというと、例の男性の手の汗だったのよ!うっわーっと思ったね、わたし。ぎょえー、げぇぇーっとも思った。汗っかきの人はみたことある。太ったひとに多い。また、人と握手して相手の手が汗で濡れていていやな思いをしたこともある。でも、こんな、オレンジジュース絞るみたいにだらだら手のひらから �汗をかく人は初めてよ。思わずそいつの顔見ちゃったもんね。向こうはいったん目が合うと、やはりきまりが悪いのか瞬時に目をそらしたから、あのように汗をかく手は尋常ではないという自覚があるんだな、と思った。その後わたしがどうしたか記憶にない。濡れた手をなにかでぬぐってその場をはなれたのか、相手の気持ちを慮ってそのままそこにいたのか、全然憶えちゃいない。今の私だったら「ぎゃっ」と叫んで、タオルで手をぬぐい、走って逃げたと思うけど。東京の電車に乗ってる人たちのマナーは最低だし、自分のことしか考えていないから、こんな人たちの「気持ちを慮る」なんてことは、わたしはとっくにやめたのよ。でも当時のニューヨークの人たちはあったかく、とても人間くさかったから、私もそこらへん考えて行動してたもの。「人間対人間」だって。

そういえば、仕事で疲れた帰りの地下鉄で、やはり座るところがなくて、ドアにもたれかかって立っていた夕方。隣に黒人の若者が同じように立っていた。彼は飲み物の空き缶だか空き瓶を背後のドアに当ててコツンコツンとリズムを刻んでいたのだけれど、ストレスで毛羽立ったわたしの神経にそれが障って、わたしは何度か彼の手元と顔を交互に見やっていかにも「ちょっとぉ、やめてよね」という顔をしていたと思う。コツン、コツン、コンコン、コツン。限界にきたわたしは彼のほうを向いて「悪いけどやめてもらえません?」と不機嫌に言った。そしたら「もうやってないだろ」と言い返された。彼は正しかった。そういえば少し前からコツンコツンは聞こえてなかったんだ。「ごめんなさい」逆にわたしが謝った。彼はうなずくと、私たちはそのまま同じドアを背にして次の駅まで無言だったけれど、なんとなく人間同士で繋がった感じがしたっけ。